この記事の結論
MOTHER2をやってください。
MOTHER2とピザ
「これまでの人生のうち一番面白かったゲームは?」と問われると回答に時間がかかってしまいます。しかし、「一番影響を受けたゲームは?」と問われるならば、いつ問われてもそれはMOTHER2だと即答できるでしょう。私にとってMOTHER2とはインターネットであり、原体験であり、今でもあるのです。
MOTHER2とインターネット
私は体の9割がインターネットによって構成されている全身インターネット人間です。私が小学生のとき、家にはじめてPCが導入されてからずっとそうです。インターネットをやるようになってすぐの頃はおもしろフラッシュを見たり、個人の任天堂ファンサイトの掲示板で交流をしたりで充実していました。フラッシュの話はまた今度にするとして、今回触れるのは任天堂ファンサイトの方です。
当時、検索エンジンやリンク集を乗り継いで辿りついたそこは十数人が常連として交流していたサイトでした。個人サイトとしては活気のある方だったのではないかと思います。そこのお兄さんたち(おそらく全員年上だったでしょう)とやり取りをしていく中で、彼らの共通言語にMOTHERシリーズがあるということに気づいていくのです。はじめの動機は、彼らの会話に混ざりたいという思いからでした。
MOTHER2と原体験
MOTHERシリーズを”履修”すべく、MOTHER1+2を買いました。1のほうはグラフィックに馴染めずにすぐやめてしまいました。これは今でも1からやっておけばよかったと後悔しているところで、2のシンボルエンカウントに慣れるとランダムエンカウントを受け付けなくなってしまうのです。ともかく、グラフィックが新しめでスマブラで知っているキャラもいる2から進めることとしました。
振り返ってみると、小学生というのはMOTHER2をはじめるのに一番いい年ごろなのではないかと思います。主人公と年齢が近いというのもあり、なかなかの没入感を得ることができました。作中のちょっとヘンな世界をあるがままに受け入れることができたのも、年齢の要素が大きいように思います。小学生のピザ少年は、ゲームボーイアドバンスSPのライトに照らされて布団の中で夜遅くまでMOTHER2をプレイしました。
ゲーム内容の話はここでは詳しくはしませんが、だいウッドーにブチ切れたり、ゲップーの秘密基地でマジで3分待たされることに唖然としたり、ムーンサイドにかぶれたり、ムの修行にビビり散らかしたり、マジカントに飛ぶ前の演出でガチ泣きしたりしました。
このようにしてMOTHER2の経験を得たピザ少年は、インターネットにその経験をフィードバックしていきます。お兄さんたちとMOTHER2の話をしたり、3はまだかと喚いてみたり、MOTHER2の曲のMIDIを漁ったり、ポーラの**フラで**ったりします。作中の経験と、作品を通しての外部との経験とで人格を形成していったのです。
MOTHER2と今
MOTHER2は30周年になるそうですね。私が触れてからも20年ばかりになります。そんな昔のゲームではありますが、当時のゲーム内外の経験が私の中に根深く残っているのです。それは今にもつながっており、褒められたことではありませんが、何の因果か私のTwitterのアイコンにもなっています。とにかく記憶に残るゲームです。
まだ触れていない方、今遊んでもけっこう「新しい」と思いますよ。Switchとかでできるそうです。是非。